全てのモノは、時間の経過から逃れることはできません。
経年=劣化と
経年=アンティーク
という言葉あります。
経年に関する考え方は、その人の価値観が色濃く反映されます。
私は4歳の頃、父親が交通事故で突然他界し母の実家のある延岡で育ちました。
子供の頃は、築50年以上は経っている家の車庫として使っていた部分を
リフォームした部屋で合板のフロアーとプリントベニヤの壁に仕上げられた
6帖一間に男三人兄弟同じ部屋で過ごしました。
2段ベッドに学習机3台、ベッドの上が自分の唯一の基地でした。
今思うと兄弟3人ともずっとアトピー皮膚炎でした。
当時、建築の仕事に初めて触れたことを覚えています。
離れにあった風呂を家に新設させる工事です。
それまでタイル貼りの浴槽に薪でお湯を沸かしていました。
工事期間中に来た大工さんや、左官職人さんとはよく話をしました。
いつもその工事をずっと近くで見て日に日に出来上がっていくのが
楽しかったのを覚えています。
祖父の好みで天井の高い浴室が出来きました。
排水溝周りも水勾配以上に勾配のとれた今思うと高齢者には最悪の浴室でした。
それでも子供には関係のないこと。
風呂が新しくなり、子供にとって家に併設してある浴室は夢のようでした。
離れにあった風呂のように雨の日濡れずにすむし、
素っ裸で家まで走ることがないから冬に湯冷めすることもありません。
たった一坪の浴室でしたが銭湯のようにすごく大きく見えました。
それから風呂が大好きになりました。
祖父が他界し、築70年以上経った家も10年前に建替えました。
生まれ育った家を、大好きだった風呂を取り壊すときはさすがに昔を思い出し
記念に撮れるだけの写真を撮りました。
いつでもあの当時を思い出せるように。
祖母は毎日工事の様子を黙ってみていました。
今はその気持ちが理解できます。
ガキだった自分がその時はわからなかった感覚が
今では手に取るようにわかるようになりました。
新しい家が完成したとき、祖母は泣いて喜んでくれました。
田代貴の建築に対する原点はここです。